中馬撮影の謎!見つかった西川繁次郎先生の手紙
伊那街道の中馬の歴史を知る、貴重な映像が平谷村で撮影されています。
3年前に、初めてその映像を見た時の記事→ブログ・秘蔵映像80年前の平谷村【中馬の記録】
なぜ、財界人である渋沢敬三さんが、平谷村を撮影することになったのかが謎でありました。
このたび、それを解き明かす手紙が見つかったのです。
飯田美術博物館の学芸員さんが、解説してくれました。
その手紙を出したのは、当時平谷小学校に勤務していた西川繁次郎先生、やっぱり長く先生を務めた一男先生(故人)のお父様にあたる方です。
手紙は、渋沢敬三さんと懇意だった早川孝太郎さん宛でした。
馬が荷物を運ぶ中馬の仕事は明治の始めまでで、その後は運送馬車の出現や、鉄道ができたので衰退しました。
動画撮影日は、昭和6年9月10日。
まだ道具が揃っているこの時に記録を残そうと、再現されたものでした。
馬は4頭
最初の1頭を馬方と呼ばれる人が引いて歩くと、後の3頭がついて来たそうです。
1頭ごとに4つの俵を積みました。
信州からは、タバコ・紙・柿などを運び出し・・・
南から、魚・塩・木綿などが入ってきたそうです。
再現された中馬の様子を見て、懐かしむ村人の様子も手紙から知ることができました。
実は、この中馬行列の実演撮影が行われたひと月前に、飯田の郷土史家が、やっぱり中馬の写真撮影に来ていたのです。
それがあったからこそ、西川先生が手紙を書く事になったのでしょう。
いろんな人の結び付きで、映像という宝物ができたのですね。
西川繁次郎先生、平谷村の歴史で語り継ぎたい方の1人であります。
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